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日本とトンガのラグビーでの関係はいつから始まったか? きっかけが意外!

2021年1月15日トンガの火山が噴火して日本でも津波の影響がありました。日本のラグビー界もリーグワンでトンガへの募金を集めたのも記憶に新しいです。 

2019ワールドカップ日本代表メンバーにもヴァルアサエリ愛、中島イシレリ、ヘウルヴェ、アマナキ・レレイマフィ、アタアタ・モエアキオラがトンガにルーツを持った選手が多数います。

このページでは、そんなトンガ人選手が日本で活躍した歴史についてお伝えしてきます。

日本ラグビーのレベル底上げはトンガ人留学生から。

トンガ そろばん

トンガと日本のラグビーのきっかけはそろばん留学からでした。1976年にトンガ国王が日本のそろばんに感銘を受けてそろばん留学が始まりました。1980年にホポイ・タイオネ、ノフォムリ・タウモエフォラウ両選手が来日し、大東文化大学ラグビー部に入部しました。

ノフォムリ選手はトンガ代表キャップ15がありましたが、ホポイ選手はラグビー経験がほとんどなかったそうです。ラグビーを通じて日本の生活になじんでもらうためにラグビーを始めました。

それが、戦力となり1980年代後半のトンガ旋風による躍進で大東大を大学ラグビーの強豪校に押し上げ、のちに大学日本一を3回も優勝することになりました。

1986,1987年の優勝当時はシナリ・ラトゥ、ワニソテ・ナモア両選手が活躍しました。ナモア選手は2020年12月21日に心筋梗塞で亡くなられたばかりです。

現役の頃は大東大の大学選手権2連覇に貢献し、社会人ラグビーでは三洋電機(のちの埼玉パナソニックワイルドナイツ)と神戸製鋼の1991年の全国社会人大会決勝の激闘があり、イアン・ウイリアムズの逆転トライで敗れた試合がオールドファンの記憶に残ってます。

ノフォムリ選手は外国人の日本代表選手第1号です。その当時の日本代表監督が三洋電機の宮地監督だったのが縁で三洋電機に入社。

そのあとを追うようにして、ラトウ、ナモア選手がそろばん留学で大東大に入学して三洋電機に入社。ロペティ・オト選手が1994年大東大の大学選手権優勝に貢献し、初のトンガから日本に帰化して1995年ワールドカップに出場しました。

ノフォムリ選手の親戚がホラニ龍・コリニアシとホラニ龍シオアペラトゥーです。コリニアシ選手は埼玉工大深谷高校へ留学しました。トンガに住んでた時ラグビー経験はなくトランペットを吹いていました。

埼玉工業大学から2006年に三洋電機ワイルドナイツに入団しました。2007年に帰化して日本国籍を取得して日本代表に選ばれました。まさに純日本製のトンガ人日本代表でした。

トンガ人選手が大東大、三洋電機(現埼玉パナソニックワイルドナイツ)に来るルートが自然とできました。そのため、埼玉パナソニックワイルドナイツ出身のトンガ人選手はヴァルアサエリ愛、セミィ・タウペアフェ、シオネ・ラトゥ、マナコ朗仁、バツベイ・シオネ、アライモアナ・モツアプアカ、ホラニ龍シオアプラトゥー、ツポウ・テビタ、など数えきれないです。

それが最近では埼工大深谷高校、日本航空石川高校など高校からラグビーの助っ人として留学するようになり、大学のトンガ人留学生も天理大学、日本大学をはじめいろいろな大学に所属するようになりました。

ルアタンギ侍バツベイ選手は大東文化大学から2002年に東芝府中(東芝ブレーブルーパス)そして2007年に近鉄ライナーズへ2011年は豊田自動織機シャトルズへ移籍。

タウファ統悦は2001年日本大学から2005年近鉄ライナーズに入団。シオサイヤ・フィフィタ選手は日本航空石川高校から天理大そしてサンウルブズの加入。天理大学卒業後2021年花園近鉄ライナーズ入団というように日本人選手と変わらないくらい選択肢が増えて、どのリーグワンチームにも必ずトンガ人選手がいるほどです。

それでは日本代表のトンガ人のキャップ数を古い順番に調べてみました。

(参照Wikipediaより2022、2月現在)

ノフォムリ・タウモエフォラウ15
ホポイ・タイオネ4
シナリ・ラトゥ32
シオネ・ラトゥ9
ロペティ・オト8
ルアタンギ侍バツベイ23
オト・ナタニエラ12
クリスチャン・ロアマヌ16
カトニ・オツコロ3
ホラニ龍コリニアシ45
ピエイ・マフィレオ1
タウファ統悦22
バツベイ・シオネ8
アマナキ・レレイマフィ29
テビタ・タタフ9
アタアタ・モエアキオラ4
ファルア・マキシ2
パエア・ミフィポセチ3
ヘルウヴェ16
ロトアヘアアマナキ大洋8
レメキロマノラヴァ16
ヴァルアサエリ愛20
シオネ・テアウパ3
フェッアニ・ラウタイミ3
中島イシレリ9
シオサイヤ・フィフィタ6
セミシ・マシレワ2

ホラニ龍コリニアシ選手の45キャップが最多でシナリ・ラトゥ選手の32キャップ、アマナキ・レレイマフィ選手の29キャップ、ルアタンギ侍バツベイの23キャップ、タウファ統悦選手の22キャップ、ヴァルアサエリ愛選手の20キャップが続きます。

トンガをルーツとした選手が現在27選手日本代表キャップを保有して10人近くの選手が日本国籍に帰化してます。ニュージーランド勢と負けず劣らずの人材が日本代表になってます。世界ランキング10位台の国からこれだけ来日するのは先述の二人の功績が大きいでしょう。

1980年代後半の大東大、三洋電機のトンガ旋風からほぼ40年経って日本のラグビー界の助っ人外国人の主流がトンガ人になりました。

ニュージーランド、オーストラリア、南アフリカ、ヨーロッパなどの一流プレーヤーがリーグワンで活躍する中いまだに日本代表ではアマナキ・レレイマフィ選手、レメキロマノラヴァ選手、ヴァルアサエリ愛選手、中島イシレリ選手などテレビにも出演するほどトンガ人選手の活躍が目立ちます。

天理大学の大学選手権初優勝の優勝請負人のシオサイア・フィフィタ選手の活躍が最も記憶に新しいでしょう。

そろばん留学から始まったトンガと日本のラグビーでの交流は日本ラグビー界の一大外国人勢力になったのも、トンガ選手が全く分からなかった日本語がラグビーを通した生活から頑張って勉強して日本語を習得して日本とトンガの異文化交流が始まりました。そろばんの玉も楕円だし、そろばんになれるのもがラグビーになれるのも同じ要領かもしれません。

それも遠い昔で今は高校から留学して、花園を経験したトンガ人選手が大学日本一で日本代表はもちろんサンウルブズ、リーグワンで活躍する時代です。日本人よりも日本を愛してくれる外国人選手の代表がトンガ人選手かもしれません。

ホラニ龍コリニアシ選手やヴァルアサエリ愛選手など帰化した選手が漢字を名前に入れるのも日本に対する愛情表現なのでしょう。シナリ・ラトゥ選手やロペティ・オト選手など引退後も帰化しているのもありますが、日本に残って生活する選手も多いです。

スーパーラグビーで活躍している選手もトンガ、フィジー、サモアにルーツを持つ選手がたくさんいます。トンガは太平洋の小島の集まりで形成された小さな王国です。産業は農業と漁業と観光が主なものです。

カボチャやタロイモやマグロの輸出で外貨を稼いでいるのが現状です。腕に自信のあるトンガのラグビー選手は一攫千金を狙ってニュージーランドやオーストラリアや日本を目指して世界中で活躍してます。そうしたトンガの選手たちは火山の噴火で被災した母国トンガの家族のことが気になるでしょう。

我々日本のラグビーをトンガ選手の助っ人により助けられた歴史から、今度はトンガに恩返しをする番ではないでしょうか?

スタジアムやWebで募金活動をしているのでラグビーを愛する仲間としてトンガを支えてもらえると大変ありがたく思います。トンガへの募金のリンク先を参考に貼り付けますのでよろしくお願いします。

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