ワールドカップ2011年、2015年連覇を果たしたニュージーランド代表のトライ集を紹介したい。
あわせて、ニュージーランド代表のこれまでの歩みについても少しふれていきたい。ワールドカップ2019からラグビーファンになった方は、世界最強のオールブラックスとして認知した人も多いだろう。
しかし、オールブラックスにも低迷期と言われた時代もあった。
優勝から遠ざかる
1987年初開催となるラグビーワールドカップで優勝。当時は日本代表のヘッドコーチも務めたジョン・カーワンが観客をにぎわせた。
しかし、その後は低迷期に入る。1991年以降優勝まであと少しという所で、南半球の強豪 スプリングボックス(南アフリカ)、ワラビーズ(オーストラリア)やヨーロッパ勢が前に立ちはだかった。
1995年には優勝候補に外されたこともある。2019年日本ワールドカップからラグビーを知るファンには考えられないだろう。
ヘッドコーチが交代しチームの再建に時間を要した。怪物と騒がれたジョナ・ロムーが登場したのも1995年大会だ。
この大会は、ロムーの他にも天才スタンドオフ アンドリュー・マーテンズもチームに加わり優勝を果たす事はできなかったが、準優勝という結果で見事下馬評を覆した。
1990年~2000年のオールブラックストライ集
ウイングには、 ジョン・カーワンやジョナ・ロムー、フルバックにはクリスチャン・カレンと言ったスーパーレジェンドが活躍した時代。
王者復活
最強オールブラックスの名が復活の兆しをみせたのが、グラハム・ヘンリーがヘッドコーチに就任した2004年以降だ。
リッチー・マコウがキャプテンを務め2007年大会のワールドカップまで、勝率9割という圧倒的な強さで優勝大本命とまで言われた。しかし、準々決勝でホスト国のフランスに敗れてしまった。
この時、フランスのフランカーには歴代最高のタックル数(1試合)を誇る ティエリ・デュサトワールがオールブラックスの攻撃を幾度とふせいだ。
2007年大会が終わった後も、グラハム・ヘンリーの戦術は他国を圧倒した。トライネイションズやプレディスローカップでは優勝旗を持ち帰り、2011年ワールドカップを前にしても9割以上の高い勝率をマークした。
2007年大会と同様、優勝大本命となった2011年大会、史上最高のキャプテン リッチー・マコウ率いるオールブラックスは、司令塔のダン・カーターを怪我でかきながら優勝を果たした。
この大会を後に、名将 グラハム・ヘンリーは勇退しヘンリーの右腕としてチームを支えたスティーブ・ハンセンがヘッドコーチに就任。
その後も快進撃は止まらず、2013年は勝率100%を達成するなど最強の名は継続。2015年ワールドカップも優勝大本命にて出場し見事2連覇を果たした。
↓2012年~2014年最強時代のトライ集
この年代は、日本のファンでもご存じの方も多いだろう。アーロン・スミス、ダン・カーター、ベン・スミス、ダン・コールズ、キアラン・リード、リッチー・マコウなどのスター選手が勢ぞろい
2015年 W杯 優勝 ニュージーランド代表
ネヘ・ミルナースタッガーや、ボーデン・バレットなど新しい顔ぶれがチームの勝利に大きく貢献したワールドカップ2015。下馬評通り、2011年に引き続き2連覇を果たした。
残念ながら、キャプテンのマコウはこの大会を最後に引退となったが、最後まで攻守にわたり絶対的存在としてリーダーシップを発揮してくれた。