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高校ラグビー 花園 名勝負はこの試合!

今年も花園の季節がやってきた。

 

毎年、冬を熱く彩る全国高等学校ラグビー大会、通称「花園」。
予選を勝ち上がってきた全国の高校生ラガーマン達が聖地・花園に集結する。

 

2020年は記念すべき第100回の大会を迎える。
100回大会開催に先立ち、過去の花園名勝負・昭和編を振り返ってみようと思う。

 

始めに断っておくが、ラグビーのルールはここ40年余りで大きく変わっている。トライの得点が4点から5点に変更されたのがその最たるものだ。

 

試合の流れを左右する上での大きな変更ポイントといえばラインアウトだろう。昔は選手を持ち上げる、いわゆる「リフト」と呼ばれる行為は反則であり、ラインアウトから綺麗な玉出しがされることは余り無かった。

 

アドバンテージも大きく様変わりしている。近年のラグビーではアドバンテージを長めに取り、アドバンテージを貰ったチームはより大胆な戦術を選択出来るようになっているが、昔のラグビーはそうではなかった。

 

反則は即笛が吹かれることが多かったのだ。

 

過去の録画映像を見るとき、これらの変更点をしっかり頭に入れて見て頂けるよう読者諸氏にはお願いしたい。

 

現代ラグビーと比較して見てしまうと、ともすれば退屈な凡戦に見えてしまうかも知れないが、その時代時代にマッチしたルールのなかでは決して色褪せない「名勝負」であるということなのだ。

 

まず始めに取り上げたいのが1980年度、第60回記念大会の決勝である。この年は60回の記念大会という事で、初めて1県1校の出場になった年でもあり、山形、島根、沖縄の3県が初めて花園の地を踏んだ。

 

特に山形県は県内の加盟校が酒田工1校だけだった為、予選なしでの出場となった。東北各県勢との練習試合でも完敗続き、出場辞退も検討されたが「山形のラグビーの捨石となろう」と悲壮な覚悟を決めて出場に踏み切った。

 

結果は一回戦で熊本工に0-60の大敗であったが、この1敗から山形の高校ラグビーの歴史が始まり、第77回大会には日大山形が新田(愛媛代表)、広島工を連破して3回戦進出を遂げた礎となったのは興味深い。

 

そんな第60回大会の決勝戦は伏見工対大阪工大高の顔合わせとなった。

 

この試合はある意味で花園史上最も有名な試合かも知れない。名作テレビドラマ「スクールウォーズ」の元となった試合だからだ。

 

「スクールウォーズ」のオープニングでも、本試合の映像が使われてるので記憶にある方も多いと思われる。余談ではあるが、「スクールウォーズ」は社会的現象を巻き起こし、このドラマが放送あるいは再放送されると各地域のラグビー部の新入部員が増えるという現象すら引き起こした。

 

ある意味において、この試合、引いては「スクールウォーズ」というドラマが80年代後半から90年代に掛けての日本ラグビー黄金期の起爆剤となったと言ってもいいかも知れない。

 

現実の伏見工対大阪工大高はドラマ以上にドラマチックだった。

 

この年、花園以前に栃木国体で両者はぶつかっている。その時はロスタイムに大阪工大高が追いつき、10-10の引き分けに終わっている。九分九厘「優勝」を手にしていた伏見工はがっくり、引き分けにも関わらず負けたような雰囲気だった。

 

「今度こそ、相手を倒して日本一に」と再度気合を入れ直した両校は花園でも破竹の勢いで勝ち上がる。

伏見工は長崎南、西陵商をいずれも大差の零封で退ける。準々決勝では東北の名門・秋田工の捨て身のタックルにやや手を焼き、16-10と苦戦するものの、続く準決勝では同じく東北の雄・黒沢尻工を28-10と退けて決勝進出を果たした。

 

大阪工大高も初戦となった佐賀工戦は14点を取られたものの、続く熊谷工、関商工、大分舞鶴といずれも完封勝ちの横綱相撲で決勝に勝ち名乗りを上げた。

 

伏見工は大黒柱のスタンドオフ・平尾誠二が足に怪我をおっており、いまいち本調子ではなかったものの、突破力に優れるフランカー西口聡などフォワード陣は元気だった。

 

対する大阪工大高はバックスにセンター東田哲也、フルバック仲宗根弘明と決定力に優れるプレイヤーを揃えて万全の構え。試合前の下馬評はやや大阪工大高有利だった。

 

両チームを率いるのは共に名将と謡われた二人。伏見工・山口良治は弱小だった伏見工を鍛え上げ、前年度の第59回大会で念願の花園初出場。2回目の出場となる今大会で初の栄冠を睨んでいた。

 

対する大阪工大高の荒川博司もまた山口に負けず劣らずの熱血漢。就任当初全くの無名だった大阪工大高ラグビー部を徹底的に鍛え、第57回大会では河瀬泰治らを擁して優勝を成し遂げている。

 

キャップを目深に被り、サングラスにダウンジャケットという独特のスタイルは有名となり、「スクールウォーズ」でも演じた俳優がまったく同じスタイルをしていた。

 

大阪工大高・東田のキックオフで始まった試合、立ち上がりは伏見工のペース。前半5分に攻め込んだ伏見工はゴール真正面でペナルティを得、これをセンター細田が確実に決め、3-0とした。

 

試合はこのまま伏見ペースで進むかと思われたが、ここから膠着状態に入る。両校とも「とりあえず22mの内側まで、そこからが勝負」とばかりに、22mに入るまではキックの応酬が続く。時折散発的な突進は見られるものの、やはり決勝戦という重圧からか、ハンドリングミスを犯してしまい、決定機までは至らない。

 

ようやく前半27分過ぎに工大高が伏見陣22m内側左サイドでペナルティを得るものの、キッカー東田がこれを決められず。結局前半はこのまま伏見3点リードで終えた。

 

サイドが変わって後半。やや風上に立った工大高はハイパントを多用して攻める。たまらず伏見、後半6分に反則。

 

伏見陣10mのやや内側から東田が冷静にペナルティキックを決め、工大高3-3の同点に追いつく。ここから工大高が息を吹き返すと見られたが、試合はまたもや膠着状態に入る。

 

両校一進一退の体勢のまま、「これはまたもや国体と同じように引き分けか」という空気が流れ出した後半30分。残り時間はロスタイムのみという時に伏見は工大高陣内22m付近でマイボールスクラムを得る。

 

スクラムが崩れかけた一瞬、素早くボールを持ち出した伏見フランカー西口が突進。一人二人と交わして、スクラムハーフ高崎にバックパス。ボールを受けた高崎は敢えて平尾を飛ばし、センター細田へ。ボールはそのまま細田からウイング栗林に渡る。

 

栗林はコーナーフラッグに向けて快走、追いすがる仲宗根を振り切って左隅に待望のトライ。伏見が7-3と工大高を突き放した。

 

残るロスタイムにすべてを賭けて工大高が攻め立てるが、ロスタイム3分過ぎ、平尾がタッチに蹴り出したところで工大高にとっては無情のノーサイドの笛。伏見工が見事に悲願の全国制覇を達成した。

 

時代は下って、1987年度、第67回大会。
この年は大阪代表の1校が話題を集めた。

 

府立北野高校。大阪屈指の進学校として有名である。かつては全国大会優勝も達成した名門校であったが、やはり勉学とラグビーの両立は厳しいのか、全国の舞台から遠ざかって久しかった。

 

第一回ラグビーワールドカップが開催された記念すべき1987年、北野高校は春から快進撃を続けた。

 

春季大会では決勝で興国高校を14-0で下して優勝、秋の全国大会予選のシード権を得ると、大阪府大会初戦となった東豊中戦は39-0で快勝。

 

続く4回戦は都島工に7-3と苦戦したものの、準決勝では夕陽丘に27-0と再び快勝、勢いにのってそのまま決勝の牧野高校戦でも25-6と危なげなく勝利、あれよあれよと言う間に46年振りの花園出場を決めたのであった。

 

北野高校の優勝は決してフロックではなかった。

 

自主性を重んじ、選手自らが練習メニューを検討。当時まだ珍しかったプロテインを摂取し、少しでも身体を大きくする事に努めたり、イメージトレーニングを導入してチーム内の意識統一を図るなど、進学校の生徒ならではの頭を使った練習を繰り返した、ある意味必然ともいえる結果だったのである。

 

フランカー吉田主将を中心としたフォワード陣は小粒ながらもまとまりが良く、集散の速さを武器にボールを奪取、そこからバックスに展開して最後は決定力のある両ウイングを走らせてトライを奪うというスタイルを確立していた。

 

決定力のある両ウイングは右ウイングに高校日本代表候補であり、のちに同志社大学でも1年生からレギュラーとして活躍する栗山紀一、左ウイングにはこれまた高校日本代表候補にも選ばれた快速の橋下徹を擁していた。

 

橋下徹は名前を聞けば判るとおり、元大阪府知事・現評論家の橋下徹氏である。文字通りの文武両道だったという訳だ。

 

伝統の濃紺のジャージに袖を通した北野フィフティーンは、激戦区大阪を制した勢いそのままに花園に挑んだ。1回戦の相手は重量フォワードを誇る北海道代表の北見北斗。

 

平均体重で約9kg重い北見フォワード陣が北野フォワード陣を押し潰しに掛かるが、北野フォワードは耐えに耐える。

 

逆に一瞬の隙をついて栗山、橋下の両ウイングがそれぞれ70mの独走トライを上げるなど、終わってみれば23-7と圧勝。

 

続く2回戦は千葉東との公立進学校対決となった。千葉東も北野より平均で約7kg重いフォワードを全面に押し立てて攻めに掛かるが、北野フィフティーンは良く耐えた。

 

前半20分過ぎから疲れの見え始めた千葉東を圧倒し始め、こちらも22-0と完封での完勝。3回戦へと駒を進めた。

 

花園に来てから更に逞しさを増した北野フィフティーン、3回戦の相手は優勝候補の一角・伏見工業。「黄金の左足」と謡われたスタンドオフ・薬師寺大輔を中心とした超名門である。

 

北野の快進撃と「スクールウォーズ」のモデル校として人気を博した伏見工の一戦。3回戦にも関わらず、この試合は超満員となり、観客がタッチライン際まで溢れるといった異例の事態になった。

 

この試合はのちに「花園が燃えた日」という一冊の本になっている。それぐらい観客が熱中し、白熱し、両フィフティーンが死力を尽くした伝説の名勝負だったと言えよう。

 

試合は両チームとも点を取り合う互角の攻防、前半はなんと北野がリードして9-6で折り返す。平均体重で12kgも重い伏見フォワード陣に対し北野フォワード陣は徹底した低さで対抗、スクラムは互角、ラックではともすれば伏見フォワードを圧倒する勢いでさえあった。

 

後半開始早々に北野がペナルティキックを決めて12-6、これはまさかの番狂わせか?と思われたが、すかさず伏見もトライを返して同点。12-12のまま時間は進んでいく。

 

残り時間1分となったところで、北野は自陣ゴール前10mで痛恨のペナルティを取られてしまう。伏見には「黄金の左足」と言われた薬師寺大輔がいる。北野、万事休す。

 

ここで北野フィフティーンは痛恨のミスを犯してしまう。
イメージトレーニングで試合展開を想像し、チーム内意識を統一していた北野は、「この場面、当然相手はペナルティキックを狙ってくる」とチーム全員が思ってしまったのだった。

 

自分達の想像どおりに試合が進むと思ってしまった北野フィフティーンは相手に背を向けて、自陣のゴールラインまで後退する。その一瞬の隙を、伏見は見逃してくれなかった。

 

ボールを取った伏見スタンドオフ・薬師寺は素早くチョン蹴りするとそのままゴール左隅を目指して突進。

 

呆然とする北野フィフティーンの中でいち早くこれに気づいた北野ウイング・栗山が追いすがるが、薬師寺これを振り切ってトライ。

 

これが決勝トライとなり、北野フィフティーンが追い求めた46年振りの夢舞台は3回戦で終わりを告げた。

 

「昭和の花園」はこの大会の翌年、昭和天皇陛下崩御による決勝戦中止、大阪工大高と茗溪学園の両校優勝で幕を閉じる。

 

昭和の時代に花園を彩った高校ラガーマン達はその後指導者になる者も数多く、平成の時代にはその指導者に教えられた高校ラガーマン達が更に進化し激しさを増した名勝負を見せてくれた。

 

機会があれば、平成の名勝負もお届けしたい。

 

昭和、平成と数々の名勝負を刻んだ聖地・花園ラグビー場。令和2年の今年はどんな名勝負を見せてくれるのだろうか。そして、これから更に続く令和の時代にどれだけの名勝負が生まれるのだろうか。

 

今から楽しみで仕方ない。

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