バックスにおけるラグビーの花形ポジションがスタンドオフ(背番号10番)であるとすれば、フォワードにおける花形ポジションはフランカー(背番号6番7番)であろう。
日本でもポジション人数割合が多いフランカーについて紹介する。
フランカーは仕事人
フランカーは正に「猟犬」である。グラウンド狭しと走り回り、ボールのあるところに誰よりも早く駆けつけてボールを奪う。
激しいタックルを繰り返して敵を倒す。ひとたびボールを持てば相手のディフェンスを切り裂いてゴールに迫る。豊富なスタミナと衰え知らずの闘争心。まさにラグビーそのものと言っていいポジションである。
リッチー・マコウ
フランカーにはレジェンドといっていい名選手が数多く存在する。
近年ではNZ代表最多キャップを誇り、2011年、2015年ラグビーワールドカップNZ優勝の立役者、リッチー・マコウ。
セバスチャン・シャバル
激しいタックルから「弾丸」、相手を一撃に眠りにつかせるという意味から「麻酔医」と呼ばれた元フランス代表セバスチャン・シャバル。
マイケル・ジョーンズ
「ラグビー選手として完璧」と絶賛され、その冷静極まりない状況判断等から「アイスマン」と呼ばれた元NZ代表マイケル・ジョーンズ。
ちょっと数えただけでもこれだけの才能豊かな名プレーヤーが揃っているのだから、やはりフランカーはフォワードの花形と言ってもいいのだろう。
フランカーを花形ポジションまで引き上げたのは彼らだけでは無い。彼らよりもっと早く登場し、「世界最高のフランカー」の名を欲しいままにした一人のレジェンドプレーヤーが居る。
元スコットランド代表、ジョン・ジェフリー。
豊かな銀髪、鋭い眼、グラウンドを縦横無尽に走り回り、狙った獲物は食らいついて離さないそのプレースタイル。それらが相まって、誰が付けたかその名も「ホワイトシャーク(白い鮫)」。この誰がつけたか判らないあだ名は当時ラグビー界で最も有名なあだ名だった。
ジェフリーを一躍世界最高のフランカーに押し上げたのは1991年に開催された第二回のラグビーワールドカップである。この大会でジェフリーの居たスコットランドはベスト4に入り、またこれ以降スコットランドはベスト4に入っていない。
この大会におけるジェフリーの名場面は準々決勝の西サモア戦だ。西サモアは当時の世界トップ7に入ると言われていた古豪ウェールズを予選グループで破り、ウェールズを予選落ちさせた勢いそのままにスコットランドにぶつかってきた。
スコットランドフィフティーンも危機感を募らせており、最初のスクラムが崩れた時にジェフリーは気合十分の表情で激しく手を叩いて味方を鼓舞した。
同僚で盟友もう一人のフランカー、フィンレイ・コールダーも両腕をぐるぐる廻して地元マレーフィールドスタジアムに集まった観客をあおる。
ウェールズを倒した西サモアに「下手したらやられる」というのはスコットランドフィフティーン全員の共通した気持ちだったのだ。
この試合でジェフリーは狂ったようにタックルを繰り返し、密集に突入し、まさにそのあだ名ホワイトシャークのように緑の芝の海の上を駆け抜けていった。
西サモアがスコットランド陣深くにボールを蹴り込み、誰も居ないフィールドを転々と転がる楕円球に誰よりも真っ先に辿りついたのはバックスの選手でも西サモアの選手でもなく、ジェフリーその人だった。
セービングしてボールを拾い上げ、細く白い足を踏ん張り敵陣に背を向けて仁王立ち、味方のサポートが集まるまで西サモアの激しいプレッシャーにたった一人で立ち向かうその姿は正に「千両役者」「花形」そのものだった。
スコットランドは準々決勝で難敵西サモアを下すものの、続く準決勝でイングランドに6-9で敗れ去る。既に代表引退を宣言していたジェフリーのラストマッチは愛する地元マレーフィールドスタジアムで行われたこの試合だった。
誰もが愛し恐れたホワイトシャークはこの試合を最後に国際舞台から姿を消す事になるが、彼が確立した「花形ポジション・フランカー」の系譜はその後の名フランカー達に脈々と受けつながれていく事になる。
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